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1994-11-16
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2KB
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34 lines
509/549 WST00364 和田 光平 幽霊の浜風(上方)
( 8) 94/03/11 12:50
幽霊の浜風(上方)
寒い季節には似つかわしくないカルタです.原型は「幽霊の浜風に逢ったよう」
浜風(強風)に吹かれてよれよれになった幽霊のような姿.元気の無いさま.迫力の無
い姿を指す表現です.
それにしても,幽霊は鬼より人気薄で,カルタに登場するのはこの一枚だけです.
幽霊の話しで先ず思い出すのは,何と言っても四谷怪談です.仮名手本忠臣蔵の裏
番組として,零落した赤穂の浪人の暮らしぶりと,細君の悲惨な運命をクローズアップ
したものでした.根も葉も無い姦通罪をきせられ,おんぼ堀に捨てられたお岩さんの
描写ほど,怖いものはありません.戸板の表と裏にくくりつけられた男と女.どちらか
が,水に漬かり息が出来ない.心中するほど愛しあった二人であっても生きようとして
互いに争い,表側にあがりたがる.そのさまを見て嘲る,恐ろしい刑罰でした.
何故お岩さんが,恨めしや.伊衛門殿.と出てくるか,誰にも納得できるお話です.
しかし,伊衛門とて被害者のひとり.突き詰めれば幕府の大名とりつぶし政策に事件
の遠因があったのです.そうした空気を察知すべきであった浅野長矩(1666 ~1701) が
松の廊下で短気を起こしてしまった. 事の起こりは定かではありませんが儀式の作法を
教えられた折り, 年上とは言え小藩のじじいが,5万石の殿様に対するにはあまりに無礼
だと感じたことがあったのでしょう. 浅野35才, 吉良60才の関係で, 物を知らない田舎
侍ぶりを, 儀式のプロからやんわり指摘されて, プライドが傷つき, カーッとした.
真相は, 事件の重みより, もっと単純だったろうと想像します.
切りつけられた吉良義央(1641 ~1702) は高家肝煎の儀典職でした. 赤穂5 万3500石
に対して吉良家は4200石の小藩です. 吉良17代の義央さんという人は50才の時に自像を
彫刻させています. その姿が今に伝わり, 吉良町の菩提寺「華蔵寺」に保存されていま
す. 柔和な表情の人です. 現地に伝わる評判は良く, 吉良音頭にうたわれています.
「赤いお馬は 上野介さまよ 黄金堤に 塩やくけむり 忍ぶおもいの 桐一葉」
赤穂浪士による本所吉良邸討ち入りの後, お咎め無しであった吉良家は, 討ち入りの
際の対応が悪いとの理由で18代で断絶させられました. 以来, 吉良の地は江戸期を通し
て, 一貫して悪役の汚名を背負って来ました. 思えば哀しいお話です.
東海支社)和田 光平